資料作ったり

わかっちゃいる事なんだけど、自分ができることって本当に少ないのよね
今日は資料を作らせてもらえた、うれしかったので気合い入れてレイアウトしたり配色考えたり、ファイル形式がPPなので、やれることは限られてるけど、できる限りのことをやろうと根詰めて作業してね 端から見たら資料の一つにそんなに気張らなくてもいいように見えたのかもしれないけど、本当にね、出来ることなんてこんなことしか無いです。

最近読んだ大東京トイボックス(1) (バーズコミックス)に(昨日の記事読んだ後だと、こうやってリンク張るのも気になっちゃうぜ)、新人には夢とか希望とか努力とか根性ぐらいしか手持ちの武器は無いという話があってね 最近よくそのことを思い出しながら仕事をしています。

学生時代にスキルを磨くという名目で、勉強したりいろいろなことやったりするのはとてもいいことなんだけど、その多くはおそらくあまり役にに立たない 何というか、学生時代のチャレンジを否定したいのではなく、学生時代に培った事というのは、会社の業績に対して影響を与えられることがほとんど無いということが言いたいのです。 でも、学生時代にチャレンジしてきた人には、何であれ積み重ねがあってプライドを持っていたりして、そうなるとプライドが邪魔をして俺はこんなはずじゃない、俺はもっとできるはずだ、なんて思ってしまう ここまでが最近の自分(笑)

まぁそーゆうジレンマの話は置いといて、じゃあ学生時代にどんなことしとけば良かったのかなと考えたら、もっと人を怒ったり怒られたり、自分の身近な人に対して真剣に向き合うべきだったなと思う 河原で夕日をバックに大喧嘩した後に友情が芽生えるとか、そんなのあるわけねぇよと思われるかもしれないけど 今は携帯とかメールとかmixiとか、人とストレートにコミュニケーションをとらなくても大丈夫なツールが蔓延しているので、ついついそういった物に頼って彼・彼女との関係もなあなあで済ませてしまうことができちゃう これに慣れすぎると後が大変だと思うのよね お金の話は絶対になあなあで決められないし、約束の時間にはちゃんと行かなきゃいけない、後でメール送っとくからいいやとか、めんどくさいから後でなんてことは出来ない だって、それで利益が発生するように世の中は出来ていないから きっちり向き合う癖をつけた方が良いよねってこと

河原の話に戻ると、そーゆう一見分けわかんないコミュニケーションが大切ということです。 何かと怒ってくる人はうっとおしいかもしれないけど、駄目な自分に対して責任持ってくれてるんだから凄くその人凄くいい人よ、逆に怒ってあげられる人はどんどん怒れば良いと思う、喧嘩できる相手がいる人はサンボマスターでも聞きながら河原で殴り合えば良いと俺は思うんだ